warm or hot
猫というのは暖かい生きものだ。 この場合の「猫」はアリスの世界で言うところの猫のことで、今いるワンダーワールドでは「弱い猫」と呼ばれる猫のことだけれど。 (まあ、ボリスだってあったかいかもしれないけれど。) ぽこっと脳裏に浮かんだこの世界での友人、ショッキングピンクの色彩が目に優しくない猫耳猫尻尾の男を思ってアリスは苦笑した。 出会ったばかりの頃は人間に猫耳猫尻尾がついているのかと思っていたけれど、最近では中身もかなり猫に近いんだと認識するようになっている。 (でもボリスをあんな風にしてもきっとあったかくはないわよね。) むしろあったかいあったかくない以前の問題になりそうだ。 なぜならアリスが「あんな風」と表現した、彼女の視線の先には。 「あ−・・・・暖かい。」 一応は執務机に座ってはいるものの、だらけきった声を出すこの塔の主、ナイトメアと、その膝にちょこんっと鎮座している猫の姿があった。 「あんたねえ・・・・」 思わず呆れたような声が出てしまうのは多分仕方が無いことだろう。 これがクローバーの塔の領主だなんて身に染みて分かっている今でさえ時々冗談なんじゃないかと思うほどだ。 などと思っていたら。 「む、まだ疑っているのか?」 「・・・・勝手に人の心の声を読まないでよ。」 「疑ったりする君が悪いんだ!私は偉いんだぞ!」 まるっきり子どもの論法にため息を一つ。 その反応がお気に召さなかったのか、ますますナイトメアは拗ねた顔になってしまった。 (あー、本格的に拗ねられちゃうとマズイわ。) 今、ナイトメアの腹心・・・・なんだか世話係なんだかわからなくなりつつあるグレイ=リングマークは用事を済ませるために数時間帯留守にしている。 その間に逃げ出さないように監視しておいて欲しいと頼まれたのに、このまま拗ねモードに入られてはせっかくの監視も無駄になってしまう。 「えーっと・・・・その、ちょっと疑問に思っただけじゃない。貴方ってばちっとも仕事しないし、温まってばっかりいるし。」 一瞬ご機嫌を取ることも考えたが、気がつけばジト目でナイトメアとその膝に鎮座している猫を見てしまったのは彼の日頃の行いのせいだという事にした。 しかしその反論は意外な事に有効だったらしい。 アリスに睨まれた途端、ナイトメアの拗ねた顔がどことなくバツの悪そうなものにすり替わった。 「し、しかたないだろう!?寒いんだからな。」 「まあ、それはそうだけれど。」 そこは否定できないので頷いてアリスが視線を滑らせた窓の外は今日も雪が降っている。 けして塔の暖房設備が脆弱だというわけではないけれどやっぱり冷えるものは冷える。 「でも前に猫付きで仕事しようとして寝ちゃってたじゃない。」 「うっ」 以前の失態を持ち出されてナイトメアが呻いた。 その時は仕事にならないと猫たちはアリスが没収したのだが。 「・・・・グレイもなんで同じ事をしちゃうのかしら。」 はあ、とため息をついたのは、同じ事を繰り返してしまうかもしれないとわかっていて多分ナイトメアに押し切られてしまったグレイに対してだ。 何かに付け頼りになるグレイではあるが、可愛い物が絡むと彼の感覚と常識は見事に麻痺してくれる。 (前に猫付きナイトメアで大分和んでたものねえ。) きっと今日も猫を抱えて「このままだったら仕事してやってもいい」とか言い張ったナイトメアに危険を承知で許可してしまったのだろう。 「そうだぞ!グレイだってこのままでかまわないと言ったんだ。それに今回は私は寝ていない!」 「偉そうに宣言しても仕事が進んでないのは変わりないわよ。」 「ぅぐっ!」 机の上に山積みになったちっとも片付かない書類に目をやって絶対零度で切り捨てれば、ナイトメアがショックを受けたような顔をする。 「・・・・ひどい・・・・冷たい・・・・・」 「はいはい、私が冷たくても猫が温かいでしょ?早く仕事してよ。」 「うううう〜〜・・・・」 恨みがましい視線を感じつつもアリスはそれを無視した。 いつまでもかまっていると結果的に彼をサボらせることになってしまう。 (時々確信犯で遊んでるんじゃないかと思うときもあるんだけど。) 子どもっぽい言動で呆れるアリスに絡むことで仕事しないで逃げているんじゃないか、とか。 (考えすぎ、と思えないところもナイトメアの怖いところよね。) 子どもっぽく情けないナイトメアの顔と、何もかも知っているような夢魔の顔。 どちらも知っているのでどうしても惑わされるのだ。 (・・・・と、いけない。) 余計な事を考えているとナイトメアに読まれてしまう。 ここで心の声に突っ込まれてそのままさっきの繰り返しをするのも馬鹿らしいので、アリスは執務室にある別の机に決済前の書類を積み上げて座る。 内容ごとに仕分けしておけばわかりやすいし、何より単純作業が一番余計な事を考えないにはいいのだ。 渋々ながらペンを動かし始めたナイトメアを横目で確認して、アリスも仕事に取りかかった。 パラ。 (・・・・よし、これで終わり。) 分類していた手元の山の最後の一枚を分け終わってアリスはほっと息をついた。 雑音をなくすために作業に集中しようとは思っていたけれど、思ったより夢中になっていたらしく気がつけば結構時間がたっていた事に気がついてアリスははっとした。 (ナイトメア!寝てないかしら?) 静かすぎれば眠気を誘われる可能性もある、と慌てたアリスだったが執務机の方に目を向けたところでそれは杞憂に終わった。 そこには黙々とペンを動かしているナイトメアの姿があったからだ。 (よかった、ちゃんとやってる。) ほっとしてアリスは邪魔をしないように椅子に座り直した。 珍しく集中しているのか、ナイトメアはそんなアリスの動揺にも気がつかなかったかのように仕事を続けている。 (たまにはこうして頑張ればいいのに。) 何となく机に頬杖をついてアリスはこっそりとナイトメアを見つめる。 真剣な顔をしている男性というのは得てして格好良く見えるものだが、それはこの夢魔といえど例外ではなく思える。 (あ、でも猫はないかしら。) もそっとナイトメアの膝で動いた猫が目に入ってアリスはくすっと笑った。 折角真剣な顔をしているというのに、膝の猫が目に入るとトータルではなんとなく和んでしまう。 (暖かいものね、猫。) アリス自身家で猫を飼っていたからその温かさはよくわかる。 (あったかいし、可愛いし。) しかも今ナイトメアの膝にいる猫はとっても大人しい性格なので、いつでもじっとしていてくれる。 (炬燵にはいっている時とか、前にベッドで布団はがした時もあの子が一番側にいたっけ。) 猫は基本的には自分の嫌な事はしないから、案外あの猫もナイトメアがお気に入りなのかもしれない。 そんな事をとりとめもなく思いながらアリスはナイトメアを見ていた。 仕事をしているお膝にちょこんっと座った猫。 時々尻尾がじゃれるようにナイトメアの腕に触れるけれど、ナイトメアは気にしていないかのように机に向かっている。 (・・・・ふーん・・・・) 湯たんぽ代わりにナイトメアの側に居る猫。 いつも一緒でナイトメアを温めてあげている猫。 (・・・・・・・・・・・・) それはちょっと・・・・ (・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・面白くない。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ (・・・・え?) 刹那の思考の空白の後、アリスは眉を寄せた。 (ちょっと、待って?今・・・・私、何を考えたの?) かなり、すごく、心の底から気のせいだと思いたいけれど、もしかしたら今自分は「面白くない」などと思いはしなかっただろうか? (面白く、ないって・・・・) 何が? いやもう、半分以上答えは出ているのだけれど、混乱した脳が答えを導き出そうとする事と拒否しようとすることを同時にしようとしている。 (・・・・え、だって、それじゃ、まるで猫に・・・・) 一方で出さなくていいと叫ぶ声を無視して脳が答えを出そうとした瞬間。 ―― カタンッ 静かだった部屋にペンを落とした音が響いてアリスはハッとした。 もしこの部屋に居たのが他の誰かだったら、今の時間は唯の空白の時間だっただろう。 けれど、今この部屋に居るのはアリスと、そして心が読める夢魔なわけで。 「・・・・・・・・・」 「・・・・・・・・・」 ぎぎぎっと音がしそうな程不自然に顔を上げたアリスと、さっきまで真面目に書類に向かっていたはずのナイトメアの目が合う。 その顔には信じられないと言わんばかりの表情が張り付いていて、手からころりと転がり落ちたままのペンが机の上を転がってる。 (あー・・・・) 聴かれた、と思う頭は冷静なのに頬があっという間に熱くなっていくのを自覚しながらアリスは苦笑した。 ここは開き直るべきなのか、逃げるべきなのか。 究極の二者択一を前にアリスはしばし考え・・・・。 カタン、と椅子を引いて立ち上がる。 片方しか見えない目に映るアリスの姿が、少しずつ大きくなって。 執務机越しに身を乗り出したアリスの唇が、ちゅっと可愛らしい音をたててナイトメアの額に触れたのと、机の端っこからナイトメアのペンが床に落ちたのは同時。 「えっと・・・・少しは暖かくなった?」 ものすごく言いにくそうにそう言ったアリスを、ナイトメアはぽかんと見つめ、そして。 「・・・・・・・・・・・・〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜あ、暑くなったぞ・・・・」 コンマ1秒後、普段からは考えられないほど真っ赤になったナイトメアの膝から。 「・・・・ぅにゃ〜ん・・・・」 やってられないよ、とばかりに猫は逃げ出したのだった。 〜 END 〜 |